ツバメブログ

『垢ぬけたい』と思うすべての男子へ

事故で『頭部外傷』から復活したときの話

事故の時頭部外傷から回復した中で治っていく過程や戻るまでで印象的だったことを話していきます。

今回は前回自分が意識不明だったときに体験した話のその後ですのでもしよろしければ前の話も読んでくださるとうれしいです。

https://tubame-zibunnmigaki.hatenablog.jp/entry/2020/06/19/182658

また今回も人によっては苦手な方もいると思いますので、苦手な方はブラウザバック推奨します。

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頭部損傷とは何なのか。

頭部外傷とは、脳の外傷は頭蓋骨内損傷と呼ばれ、交通事故や転落事故などで頭部に大きな力が加わった場合には、重症化することが多い。また頭蓋骨内の出血には、くも膜下出血、脳内出血、急性硬膜外血腫、脳室内出血、急性硬膜下血腫などがある。

 

……目が覚めると僕はベットの上にいて運ばれている所だった。運んでくれている看護師さんが笑いながら何か話しかけてくれていたがまだ麻酔が残っているのか強烈な睡魔に襲われて口も開けずただただボーっとしていたのがそのあとの記憶だ。

部屋に運ばれたとき暖かくて眩しかったのを覚えている。それも一週間ぶりに陽の光に照らされたのでそれはとてもここちが良いものだった。部屋の窓から風の冷たさを感じ緑の匂いが衝撃だった。その間ぼくは久しく感じたものに夢中だったのか起き上がろうとしたときにコルセットがついてたことに全く気が付かなくていつつけられたのかと不思議に思うこともなかった。そこから僕のその日以降の記憶はない。

次の日朝ご飯を出され、食べようとしたときにある違和感があった。それは距離感がうまくつかめなかったことだ。箸をおいてあるところに意識しなくても今までは持てたのにその時は箸に狙いを定め集中しないと箸すら持てないのだ。ちなみにご飯はおいしいとは思えなかった。その日テレビはついていた看護師さんがつけてくれたのか自分でつけたのかも覚えてないが何を言ってるかわからないし見覚えがある人が写ってるなくらいにしか思えなかった。

しばらくして先生の回診があった。先生が病室内を回り一人ひとりの様態のチェックするのだ。先生が何人か入ってきていきなり言われたのが『今日何月何日かわかる?』僕はそれに答えることができなかった。テレビの冒頭で日にちは伝えてたのに僕はそれすら聞いておらず、ニュース番組なら画面のはじに書いてあったりするのにそれすら見ようとはせず、頭の中は今日は何月何日なのか考えてるばかりだった。先生がその後日付を教えてくれて病院の説明やいまの症状を教えてくれたのだがその時でさえ今日が何月何日なのか考えてばかりいた。今思うとほんとにぞっとする話だ。

入院とは暇との戦いだと思う。ほんとに退屈だった。どこへも行けずトイレすら自分でいけないのだ。そこで役立ったのはスマホだった。母が置いて行ってくれたのだ。スマホは電源がついていたので開くのはたやすかった。ただ問題は情報量の多さに頭が痛くなることだった。最初はただ通知を見ることしかできず、トークを開いても名前は書いてるのでわかるのだが如何せん顔が浮かばない。ただただそれ以降はその人とのトークを読み返しては顔はどんな顔をしていたのかを思い出そうとするばかりだった。

自分の記憶に残っている中で一番インパクトのあるものは、買い物だった。車いすで出かけるようになり母と病院内にあるコンビニに行った時のことだ。まず自分は車いすに乗ってることはわかるが今からどこへ向かうのか押しているのが母だということですらわからなかった。ただ急に寒くなりコンビニで流れてるラジオの音で初めてコンビニにいることが分かった。母が『どれ食べたい?』と聞いてきたときにはじめてお弁当コーナーにいることがわかりコンビニにいるんだなと確信した。またそこからが大変でどの商品を見ても容器が似てるせいか同じに見えてどれが何なのか分からなかったからだ。これにするとやっと決め母に伝えたがのちに母から聞くとこれにすると指は指してたが指は床を指してたらしい。

 

今回は僕が意識不明から回復して、頭部外傷から回復するときに体験したことを書きました。こうして回復して自分の好きなことができるのはお医者さん、看護師さん、周りにいてくれた方々のおかげなのでほんとに感謝しています。事故する前と後で変わったことは人の名前が定着しないのでそこを気を付けていこうと思います。これは体験した中でのまだ序章にすぎないので回復するまでに体験したことをまた書こうと思いますのでよろしくお願いします。ここまで読んでくださった方本当にありがとうございました。